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何で私はランニングに夢中なのか?人が走る理由を考えてみました。

雑記

ランニングを再開して半月が経ちました。

家族からは「またケガなんかしないように」と念押しされてます。

 

そして、「しんどいのに何で走るのか、よくわからんわ」と言われることもあります(遠回しな嫌味?)。

そう言われると「テレビの前でずっとお酒飲んでるよりマシやろ?」と言い返します。

 

でも、実際のところ、私は何で走るのでしょう?

そんな疑問を整理しようと思い、私なりの走る理由を改めて確認したいと思います。

結論としては、「ランニング=気楽」なところが走る一番の理由ですね。

私にみたいに走るのがつらくなってランニングを止めてもいいし、走りたくなれば走ればいい。

 

走る時間も自分で決めればいいし、走る距離も自由です。

走るペースも自由ですし、途中で歩いても止まっても自由です。

学生の頃はずっと体育会で競技のルールだけでなく、いろんな「決まり事」があった記憶があります。

また、社会人になっても会社であれ、住まいのコミュニティーであれ、何がしかの「しがらみ」「制約」があります。

 

でも、ランニングには最低限のマナーはあっても、細かいルールなんてありません。

ただ走るだけ。

ランニングのチームでなければ、誰かに気遣いすることもなく、好きな時にペースを調整したり、歩いたり、休憩できたりします。

 

走ろう!と思い立って、シューズを履いて、外に出て、自分のカラダの状態を確認しながら(自分のカラダと会話しながら)、ペース調整できる!

「あぁ、自由だ!」

最近は走り始めにいつもそんな風に感じます。

 

そして、ランニングの距離がどれほどであっても、走り終わった後の「充実感」には単にカラダを動かした以上のものがあります。

大袈裟に言えば、精神的な「満足感」だったり「達成感」とも言えます。

 

それが自信に繋がり、次へのモチベーションになります。

自分の限界を少しずつ押し広げる経験は、他のどんな活動からも得られるものではないですね。

走ることで、頭を空っぽにできるし、一方で、深く考え事をする時間にもできる。

自然の中を走れば、四季の変化を感じ、日常の喧騒から離れてリフレッシュできる。

体が疲れても、その疲れが心地よく、生きてる実感を味わえる。

 

「なぜ走る?」と聞かれたら、そんな模範的な回答をよく見聞きします。

でも、私なりには、ランニングはルールがなく、ただ走るだけのスポーツであって、ペースも自由、途中で歩いても誰も何も言わない

 

これが走り続ける理由だし、最大の魅力なのかなと改めて感じました。

 


このように走る理由を文字に表して読んでみると、「気楽さ」「自由」の有難さを強調してるのは、少し気持ちが疲れてるのかな?と客観的に自己分析しました。

最近は、国内外ともスッキリしない問題ばかり・・・というのも影響があるのかも?

例.ロシアのウクライナ侵攻とか、イスラエルのやりすぎ征伐とか、無責任な政治とか、大谷クンの通訳トラブルとか・・・

 

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